文具の雑学
皆さんは「ホッチキス」を使いますか?
皆さんは「ホッチキス」を使いますか?
英語では「ホッチキス」とは呼ばないのです。
「ホッチキス」は英語で「ステープラー(stapler)」と呼ばれます。
なぜ日本では「ホッチキス」と呼ばれるのかというと、明治時代にイトーキ(当時は伊藤喜商店)がアメリカから輸入した「ステープラー」が「E.Hホッチキス社」製だったので「ホッチキス」と名付けられました。
最近では、20枚を楽にとじられるもの、手にフィットしやすいもの、逆さ持ちでも持ちやすいものなども有ります。
「定規」と「ものさし」の違いは?
「定規」と「ものさし」は同じようなもので呼び方が違うだけのように感じますが、実は違います。
「ものさし」は長さを測る為の道具です、その証拠に目盛りが端から端まで有ります。
その素材も温度や湿度に強い竹、ステンレス製が多いのです。
一方、「定規」は線をひく為の道具です、線の長さがわかるように目盛りが付いています。
鉛筆をあてがい易いよう目盛りの外側に余白が有ります。
元々定規は「定める木」と書いて「定木」物の形を定める木と云う意味です、三角定規・雲形定規など形も色々な種類が有ります。
「文房具」の語源・由来
そもそも文房具の「文房」とは、どういう意味なのでしょうか。
「文房」とは、読書や書き物をするための部屋「書斎」のことです。
もともと中国の文人の書斎を「文房」と呼び、「文房に備えておく道具」という意味で「文房具」と呼ばれるようになったのです。
中国では「筆墨紙硯(ひつぼくしけん)」が定番の道具であり、「文房四宝(ぶんぼうしほう)」と称しました。
そのため、「文房具」はもともと筆・墨・紙・硯(すずり)の4点だけを指す言葉です。
現在では、ペンや鉛筆、インク、消しゴム、鉛筆削り、ペンケースなどの筆記用具、ノートやルーズリーフなどの紙類、ハサミやペーパーナイフ、カッターナイフ、定規、ホッチキス、輪ゴムなどが文房具として挙げられます。
また、「文具」という言葉もあるが、これは「文房具」を短くした言葉ではなく。
「文具」は、筆・墨・紙・硯を指す「文房具」以外のものを含める言葉です。そのため、「文房具」として上に列挙したものは本来の意味としては「文具」のほうが正しい。
ただし、現在では辞書・辞典にも「文房具」と「文具」は同じ意味で掲載されており、「文房具=文具」となっています。
「えんぴつ」の歴史
○えんぴつはイギリス生まれ。最初は使うたびに手が真っ黒に!
えんぴつのはじまりは1564年。エリザベス王朝時代のイギリスにまでさかのぼります。当時イギリスのボローデル山で、黒いかたまりのようなものが見つかりました。試しに、その黒いもので文字を書いてみたところ、はっきりとした文字を紙に残せることがわかったのです。
この黒いかたまりの正体こそ、えんぴつの芯(しん)の原料となる「黒鉛(こくえん)」というものでした。
当初は、細長く切った黒鉛(こくえん)そのものを手に持って書いていましたが、手が汚れて使いづらかったため、よく年の1565年ごろには、木にはさんだり、ひもでまいたりして使うようになりました。これが現在の、えんぴつのもとになります。
この黒いかたまりの正体こそ、えんぴつの芯(しん)の原料となる「黒鉛(こくえん)」というものでした。
当初は、細長く切った黒鉛(こくえん)そのものを手に持って書いていましたが、手が汚れて使いづらかったため、よく年の1565年ごろには、木にはさんだり、ひもでまいたりして使うようになりました。これが現在の、えんぴつのもとになります。
その後、イギリス近隣の国でも使われるようになり、ボローデル山からはどんどん黒鉛(こくえん)のかたまりがほられていきました。そうして200年ぐらいたったころ、ついに山から黒鉛(こくえん)のかたまりが消えてしまいました。全部使いきってしまったのです。
そんなとき、ナポレオンの命令でもう一度黒鉛(こくえん)のかたまりをつくろうと取り組んだ人たちがいました。フランス人のニコラス・コンテさんと、ドイツ人のカスパー・ファーバーさんです。
彼らは、他の山からとれる黒鉛(こくえん)のかけらや粉を集め、さらに細かい粉にして、それをねん土とまぜて焼き固め、えんぴつの芯(しん)をつくりました。そして、黒鉛(こくえん)とねん土のわりあいを変えることで芯(しん)のこさを変えられることも発見しました。
今でもえんぴつの芯(しん)は、この方法を基本につくられています。
そんなとき、ナポレオンの命令でもう一度黒鉛(こくえん)のかたまりをつくろうと取り組んだ人たちがいました。フランス人のニコラス・コンテさんと、ドイツ人のカスパー・ファーバーさんです。
彼らは、他の山からとれる黒鉛(こくえん)のかけらや粉を集め、さらに細かい粉にして、それをねん土とまぜて焼き固め、えんぴつの芯(しん)をつくりました。そして、黒鉛(こくえん)とねん土のわりあいを変えることで芯(しん)のこさを変えられることも発見しました。
今でもえんぴつの芯(しん)は、この方法を基本につくられています。
○日本で最初にえんぴつを使ったのはあの大将軍だった?
黒鉛(こくえん)を、現在の基礎となるえんぴつの芯(しん)にまで加工できるようになった頃には、軸(じく)の加工技術もますます進化。
19世紀の後半には丸い芯(しん)を、ミゾをほった軸板(じくいた)ではさみ、一度に6本のえんぴつをつくる現代の方法を、アメリカのえんぴつ会社が開発しました。より使い勝手がよくなったことで、えんぴつは世界的にますます広がっていきます。
日本で最初にえんぴつを使った人物は、徳川家康(とくがわいえやす)だといわれています。今は、久能山(くのうざん)の東照宮(とうしょうぐう)という神社に保存(ほぞん)されていますが、どこでつくられ、どのようにして家康(いえやす)の元に届いたのかはわかっていません。
ちなみに、日本でいちばん古い色えんぴつは、姫路神社(ひめじじんじゃ)にある古文書(こもんじょ)に赤えんぴつで書かれたものが残っていますが、その赤えんぴつは残っていません。
19世紀の後半には丸い芯(しん)を、ミゾをほった軸板(じくいた)ではさみ、一度に6本のえんぴつをつくる現代の方法を、アメリカのえんぴつ会社が開発しました。より使い勝手がよくなったことで、えんぴつは世界的にますます広がっていきます。
日本で最初にえんぴつを使った人物は、徳川家康(とくがわいえやす)だといわれています。今は、久能山(くのうざん)の東照宮(とうしょうぐう)という神社に保存(ほぞん)されていますが、どこでつくられ、どのようにして家康(いえやす)の元に届いたのかはわかっていません。
ちなみに、日本でいちばん古い色えんぴつは、姫路神社(ひめじじんじゃ)にある古文書(こもんじょ)に赤えんぴつで書かれたものが残っていますが、その赤えんぴつは残っていません。
日本のえんぴつは、1873年、ウィーンで開催された万国博覧会(ばんこくはくらんかい)に、伝習生(でんしゅうせい)として派遣されていた井口直樹(いぐちなおき)さんと藤山種広(ふじやまたねひろ)さんが、えんぴつの製造技術を日本に伝えことがはじまりとされています。その後2人から教わった小池卯八郎(こいけうはちろう)さんと、独学でえんぴつづくりを学んだ河原徳右衛門(かわはらとくえもん)さんがえんぴつ製造を開始したのです。
えんぴつが日本で一般的になったのは、西洋文化を盛んに取り込んだ明治時代の「文明開化」がきっかけといわれています。
えんぴつが日本で一般的になったのは、西洋文化を盛んに取り込んだ明治時代の「文明開化」がきっかけといわれています。
(株)トンボ鉛筆<トンボのえんぴつ物語 >より